ダスカロスが小学生のころのお話です。
ある日、算数の先生がダスカロスに難しい問題を解くように言いました。
ダスカロスは運悪く準備が出来ていなく、その宿題をやっていなかったことを正直に先生へ伝えました。しかし、先生はダスカロスに、ともかく教室の前に出てきて、黒板で問題を解いてみなさいと指示しました。
ダスカロスは黒板のところに出ていきましたが、その掛け算の問題の解き方がまったく分かりませんでした。先生は、その問題を大きな声で読み上げ、ダスカロスにそれを黒板に書かせました。この時のことをダスカロスは後年、この様に言っています。
「その時、私は自分のすぐそばに、何世紀も前から知っているブラザー・ガイドであり、友でもあるドミニコ会の修道士がいるのを感じていました。彼は 『手を貸してごらん、一緒に問題を解いてみよう』 と言ってくれました」
ダスカロスはチョークを取り、手を黒板に持っていきました。
すると、その肉体化されていないガイドが、彼の手をコントロールして、その問題を解いてくれました。算数の先生は驚き、なぜ勉強しなかったと言ったのかを尋ねてきました。ダスカロスは正直に「問題を解いたのは、私ではないのです」と答えました。先生は怪しむように「では、それは一体誰なんだね?」と聞きました。ダスカロスは「それは、聖ドミニクスです。ドミニコ会の修道士が私のそばに立っていて、手を取って、問題を解いてくれました」とただはっきりと伝えました。先生は怒って言いました。「私には誰も見えない! お前は私をからかっているのか?」
先生はダスカロスを連れて、小学校の校長の部屋に行きました。
そして、何が起きたかを話し、校長室に彼を残して出て行きました。
これは後で判ったことですが、運が良いことにその校長は、秘密で神秘主義を実践している人でした。その当時はまだ、キプロスの心の狭い聖職者が神秘主義を学ぶことを禁止していました。
校長は、ダスカロスが黒板に書いた筆跡を見て、7歳の子供が書いたものとは考えられなかったので、ダスカロスの説明を真剣に受け止めてくれました。次の水曜日は午後のクラスがなかったので、校長はダスカロスの父に話して、ダスカロスに校長室に来るように手はずを取っていました。
その日にダスカロスが校長室に行くと、そこには大きくて太った数学の先生とラテン語の先生がいました。彼らは、この小さな7歳の賢者と彼の見えないヘルパーについて、もっと知りたかったのでした。彼らは彼ら自身のために、ダスカロスと聖ドミニクスの信憑性を実験することを計画していました。最初に、彼らは、ダスカロスのレベルを超えた算数の問題でテストしました。次に、代数の問題を出しました。そして、平方根と対数の問題も出しました。それぞれの問題に、聖ドミニクスはダスカロスの手を取って、難しい問題をまったく誤りなく解いてしまいました。
次に、彼らはその物語性、言語性において比類なきローマの詩人、オウィディウス(BC43〜AD17)の作品から幾つかの文章を訳すように言いました。ラテン語の先生は、ラテン語で読む文章を、ダスカロスにギリシャ語で書くように指示しました。ダスカロスは答えて言いました。
「はい、勿論です。でも、一般的に話されているギリシャ語ですか、それとも、語幹が母音で終わる正式のギリシャ語の、どちらで書いたら良いでしょうか?」先生方は信じられないように互いに見合ってから、彼に両方で書くように言いました。
ダスカロスは、聖ドミニクスの指導で、2ページのラテン語を翻訳してまとめました。驚嘆した先生方は、更に難しいことに挑戦してきました。
そして、ラテン語の先生が読むラテン語の聖書を翻訳するようにと命じました。ダスカロスは、翻訳して纏め上げ、さらに、読み手の誤ったラテン語の発音からのミスを訂正していました。聖ドミニクスと完全なアチューンメントにあるダスカロスは、自ら完全なラテン語の発音で、そのラテン語の福音書を読み始めていました。
これを聞くに及んで、ラテン語の先生は大変興奮して、ダスカロスのところに近寄って抱きしめて大きなキスをしました。他の多くの7歳の子供のように、ダスカロスも、このような好意の表現がいやでしたので、瞬間的にそのキスを拭き払っていました。
さて、ここでダスカロスが聖ドミニクスという高次の存在に“チャネリング”をしていたと考えることは、大きな誤りです。ダスカロスは、チャネリングをしていません。また、彼は、霊媒のように、未確認の存在や不確定のエネルギー源に自分自身を開き、彼らにパーソナリティーを通して表現させることを許すようなことを認めていないのです。このことは、非常に危険で間違った方向へ導かれる可能性があるからです。それに引き換えて、ダスカロスは、"アチューンメント"(訳注1)や、"一体化"(訳注2)と呼ばれる手法によって、彼自身を彼の旧友やガイドに同格化(コーディネート/訳注3)することができるのです。ダスカロスが完全に同格化されると、例えば、聖ドミニクスがダスカロスの手を取っていたり、意思を通じ合っていたりするとき、その智恵は即時にダスカロス自身の智恵にもなります。
2つの存在が"一体化"にある状態を説明するのに、2つの蝋燭の炎が合わされた状態というのが近いかもしれません。すなわち、2本の蝋燭を近づけると、炎はさらに明るくなり、2つの炎は1つの炎に見えます。しかし、蝋燭を離すと、再び2本の個別の炎になります。
ダスカロスは、私たちの中に隠されている"アチューンメント"の能力を開発すると、それが"一体化"に導いてくれ、誰の智恵にでも、何の知識にでも同化、吸収することができることを教えてくれています。さらに、この"アチューンメント"や"一体化"によって得られる直接的な智恵は、従来の学習方法から得るより、何倍も早く得ることができます。何年もかかる地上の学びは、"一体化"によると、一瞬で完了します。
次の日に、たまたま事故が起きた時、校長と先生方はダスカロスを試しました。学校である生徒が走っている時、転んで地面に打ちつけてしまい、膝が切れて、ひどく流血していました。他の先生が、泣いている生徒をダスカロスのいる校長室に運びました。聖ドミニクスはダスカロスに、少年の傷ついた膝から血や石を洗い流すために水を持ってくるように頼むように導きました。ダスカロスは、傷口から石を取り除き、血の流れ出る膝をきれいにしました。
校長はすでに近くの医者を呼んでいました。その医者は偶然にダスカロスの母の従兄弟であり、ダスカロスの特別な能力について既に知っていました。彼が校長室に着いたとき、ダスカロスが傷の手当をしているのに気づき、ダスカロスのやっていることを続けさせるように、校長に話しました。
この時点で、聖ドミニクスはダスカロスに「さあ、彼を治そう」と言い、ひざまずいて、両手で怪我をしている少年の膝を包むように導きました。
続けて、「膝が完全な状態を視覚化しなさい。優しくなでながら、膝が元の状態にあるイメージを見なさい。さあ、今、手を離しなさい」と導きました。ダスカロスは導かれたように行い、手を離しました。すると、少年の膝には血も傷もなく、完全に癒されていました!
その医者は、傷が完全に治癒されているのを確認してから、ダスカロスとの家族関係について述べ、「私たちは、こんなことには慣れっこなんですよ!」と事実に基づいていることを明らかにしました。
この神秘的な少年ヒーラーから与えられた絶好の機会を感じて、校長はダスカロスの父親に頼み、ダスカロスが毎週金曜日の夕方に校長の家に来るようにしました。次の金曜日に、ダスカロスが校長の家に着くと、大きな居間は25人もの霊的探求者であふれていました。彼らは、この驚異的な少年と不可視のガイドたちについて学ぶことを熱望していたのでした。
彼らはダスカロスに、彼のニックネーム、ラキスと呼んでも良いか、そして聖ドミニクスやガイドたちに、哲学的な質問をしても良いか尋ねました。
ダスカロスは、それらに同意しました。そして、彼らは質問を始め、ダスカロスからの答えを筆記していました。それから、彼らは、異なった言葉で質問をし始めました。ダスカロスは、質問がされた同じ言語で、完全な発音で答えました。人々は驚嘆しました。彼らは、この7歳の少年がどうして、このように深い哲学的な質問に答えられるのか、またそんなに若くして、こんなに多くの外国語を習ったのか不思議でなりませんでした。
このような会合は、3週間続きましたが、聖ドミニクスやもう一人のガイド、聖ヨハナンから、このような方法の会合はこれ以上続けられないと、ダスカロスに通告がありました。ダスカロスは、肉体を持たない指導者であるヨハナンとの、絶え間ない意識的なつながりを約2000年間も継続していました。ヨハナンがアドバイスしたことは、もし校長や彼の弟子が継続したいのであれば、「7つの約束」(訳注4)を守らなくてはならない、と言うことでした。
ヨハナンはダスカロスの手を取って、「7つの約束」を書かせました。
これは現在も、息継ぎの箇所も変わらず、ダスカロスの生徒によって読み継がれています。「7つの約束」は、特定の人や組織、無論神に対する誓いではなく、各自が自分自身に行なう約束なのです。すなわち、いつもどこにいても、私たちの思考と言葉と行いにおいて、それらの約束に従って生きることを、自分自身に約束することになります。
次の金曜日に、ダスカロスは継続の必須条件を発表しました。
それは、これからの新しいクラスに「7つの約束」が条件となり、この偉大なワークに入る前に、一人ひとりがこれらの約束に誓うことを求めるものでした。校長は大きな声で「7つの約束」を読み、他の探求者は立ち上がり、手をハートの上に置いて、それらを復誦し、小さなマスターからイニシエーションを受けました。ダスカロスは、椅子に座り、床にとどかない小さな足をぶらつかせて、高等教育を受けた信奉する人々に教えを説いていきました。このようにして、1919年キプロスにおいて、7歳のマスターは、教えとヒーリングを開始しました。
それから、70年以上に亘り、ダスカロスは世界中に100を超える学びのサークルをつくり、何万人もの人々がサークルに参加し、各個人的に深い精神的な気づきと否定できないヒーリングを経験したのでした。
末期がんのような不治の病は、ダスカロスの存在によって奇跡的に治癒されました。ダスカロスの比類なきヒーリング力は、生まれつき足が不自由で、自由に歩けない子供の足を普通に歩けるようにしました。
ダスカロスは肉体的な不調和を治すだけでなく、深い原初的な感情障害をもった心を引きずっている人々にも、 愛のケアーにより解放してきました。また、ダスカロスの思慮深い助言は、精神的な闇や否定性や混乱の中にいる人々を暗闇から導きだして、再び光の世界に連れ戻すものでした。
上級のヒーリング手法や真理探究に関与している真理の探究者を訓練するダスカロスの受容性と能力は、並外れていました。彼は数え切れないほどの探求者の意識をより高次に引き上げることに多くの時間を掛けていました。ダスカロスは学ぶ者が成長していく中で、より深い教えを授けるために、 "アウター・サークル、インナー・サークル、そしてインモースト・サークルといった幾つもの学びのサークルをつくり上げました。準備が出来た真摯な探求者には、更に上級の訓練を真剣に与えていました。それらの中には、「サイコ−ノエティック形態の構築」、「体外離脱法」(OBE: 意識を維持したまま肉体から出る経験)、 「遠隔ヒーリング」などがありました。ダスカロスは、道理に適って名付けられた、天の王国への"黄金の鍵"
(訳注5)を私たちの手の中に委ね、その使い方を教えてくれました。
私たちは当に、1919年、7歳のダスカロスが、現在にまで至る「真理探究のサークル」と「真理探究のシステム」を創設したと言うことができます。現在、ダスカロスによる「真理の探究者」の各サークルは、経験の深い兄弟或いは姉妹の「真理の探究者」により指揮されています。
一つひとつのサークルは互いに独立していて、リーダーやサークルの会員は、他のサークルのやり方や会員を干渉することがありません。
それぞれの「真理の探究者」の公認サークルは、教え全体を所持しています。ダスカロスは「何百年も学ぶための、レッスンや書籍など充分な資料が準備されている」とよく言っていました。「真理探究のシステム」における教えは、完全です。学び手である生徒として、私たちはこれ以上の理論を必要としません。なぜなら、ダスカロスの精励なる努力により明らかにされた教えは、すでに知識としてここにあるからです。しかしながら、一人ひとりの生徒に求められていることは、その真理を自ら直接、探究する真摯な努力を続けることであります。それは、私たちが誰であり、何のために存在しているのか、という真理を見つけ出すことであり、個人的エゴイズムに織り込まれた苦痛や幻想から自らを解放することなのです。
ダスカロスは、これらすべてのサークルを監督しており、彼自身が各サークルの会員でもあるのです。生前ダスカロスは「如何なる後継者も不要である。他界しても、私はサークルを監督し続ける」と約束しました。
公認サークルを率いる兄弟或いは姉妹としての上級ガイドの一人ひとりは、そのサークルの先生である"ダスカロス"を象徴する立場です。
同様に、ダスカロスは、彼がつながる高次元の知性からの教えを表しています。
これらの、いわゆる高次元の知性とは、霊的進化を遂げた人間、すなわち肉体を持たないガイドたちだけではありません。これらの高次元の知性とは、キリストがアラム語で呼んだ"ベニ・アラハ"(神の子たち/訳注6)や、"ベニ・オール"(光の子たち/訳注7)としても知られています。
これらの神聖なる知性たちは、ヘブライ語で"エロヒム"(多重性にある神/訳注8)、すなわち真実の神の中の神たちと呼ばれています。
これらの偉大な知性たちのあるものは、人間に知られているものや知られていないものも含め、すべての大天使の階級にあるすべての大天使たちとして表現されています。これらの数え切れないほどの霊としての存在たちは、誕生もなく、死もなく、永遠の存在です。ダスカロスは私たちに、これらの偉大な知性たちを紹介し、彼らとの意識的なつながりに入る道を示してくれました。彼らは、私たちが永年探し求めてきた道に進むことに喜びを表してくれます。彼らは私たちを歓迎すると共に、あらゆる真摯な探求者に彼らの偉大な智恵を明かしてくれます。彼らの神聖なる智恵は、人間の知性と比べると、あまりにも広大無辺であり、それはあたかも小さな子供と、偉大な科学者の知性を比べるようなものでしょう。
ダスカロスは、霊的な先駆者であり覚者でありましたが、同時に彼自身が私たちの心や精神に巧みに植えつけてくれた教え自身でもあったのです。しかし、「真理探究のシステム」として最も大切なものは、ダスカロスという人格でもなく、各サークルのリーダーでもありません。
「真理探究のシステム」は、人格の崇拝をする場ではありません。
人格に基盤を置いたグループは、カリスマ的な人格を持ったリーダーと、それに従う生徒にとって、非常に危険な存在です。私たちのシステムで重要なものは、"教え"で、それが「真理探求」のために、兄弟姉妹のガイドたちによって守られ、伝承されていくことです。
「真理探究のサークル」を率いている兄弟姉妹のガイドたちは、その行いや奉仕に対して、賞賛や憧憬や金銭などを受け取る立場ではありません。彼らは、一人ひとりのサークル会員に対して持つ敬意以上のものを期待すべきでも、受け入れるべきでもありません。彼らの仕事の目的は、単に真理を拡げることではなく、真理をもっと深く学ぼうとしている人々に手を差し伸べることです。
しかしながら、私たちが、はるか原初の時代にまで時間を遡ることができれば、「真理の探究」というものが、地上の最初の人類が誕生した、その瞬間に始まったと言うことが正しいでしょう。その原初の人類は、「私はどこにいるのであろう?」、「私は誰であろう?」、「私は何のために?」などと不思議に思い始めたと想像できます。ですから、真理の探究 というものは、当然「真理探究のサークル」の会員に限られたものではありません。真理の探究とは、すべての人類の魂からの叫びであり、深く根ざした責務と言わざるを得ません。
「真理の探究者」の教えは、実証されていない理論を盲目的に信じさせるような提供の仕方はしません。これらの教えは、真理の明白な反映であり、真実の本質であり、私たち一人ひとりの魂を映し出すものです。
レッスンに籠められた真理は、私たちの一人ひとりによって直接、真摯に探求され、じかに経験されるべきものです。本当の真理は、私たちの外側から得られるものではありません。本当の真理はすでに、私たちの内に、すなわち私たち自身の神聖なる本質にあるものです。賢明で、愛すべき兄弟姉妹のガイドたちは、どのように探求し、自己の内にある真理を見つけ出すことへの真摯な関心を持つ人々をサポートするために、ここに存在しています。ガイドたちは、あなたのために働くのではなく、あなたが絶対真理へ向かって相対的な真理のはしごを登るときに、あなたを助け、導くことになります。教えや先生やガイドたちは、道を示すだけです。もしあなたが本当に「自分が誰であり、何のために存在しているか」を知りたいのであれば、それは"自己実現"(訳注9)へ向かう道であり、あなた方の一人ひとりはその道を自分の足で歩む努力をしなくてはならないのです。
2005年11月30日
ダニエル
訳注1: アチューンメント/Attunement
対象物の本質を学び、観察できるようになればなるほど、あらゆる対象物の 振動数に自分の波動を調整し合わせることをアチューンメントと言う。一体化 に到達する前の段階。
訳注2: 一体化/At-one-ment
永遠の存在が自己意識を持ちながら、他のあらゆる永遠の存在や一時的な存在 と完全に一つに融合する超意識の状態。絶対存在と一体化することを「テオーシス」という。
訳注3: 同格化する/Coordinate
対象物が永遠の存在でも、一時的な存在でも、対象物の秩序を調整している周波数に瞬間的に同調することで、アチューンメントや一体化と同義的に使われている。
訳注4: 7つの約束/Seven Promises
ダスカロスが7歳のときに、ヨハナン(聖ヨハネ)から与えられたもので、神聖なる計画への永遠の誓約を表現したものであり、真理の探求者の最も基本的な約束として、サークルで読誦されている。トップメニューから「真理の探究者」へ行くと、掲載されている。また、ダスカロス著「エソテリック・プラクティス」にも解説されている。
訳注5: 黄金の鍵/Golden Keys
天の王国に入るための5つの黄金の鍵は、私たちの内に備えられている私たちに与えられている能力であり、具体的には、内省、観察、集中、視覚化、瞑想を指している。トップメニューの「オンライン・レッスン」から「エソテリック・ティーチング」に行くと掲載されている。また、ダスカロス著「エソテリック・プラクティス」にも解説されている。
訳注6: ベナイ・アラハ/Benai Alaha
キリストが使った、アラム語で神の子たち(Sons of God)を意味する言葉。
訳注7: ベナイ・オール/Benai Or
キリストが使った、アラム語で光の子たち(Sons of Light)を意味する言葉。
訳注8: エロヒム/Elohim
アラム語でエロハ(Eloha)の複数形で、多重性にある神たちを意味する。
神の中の神をアラハ・エロヒム(Alaha Elohim)という。
訳注9: 自己実現/Self-Realization
分離の世界における人生経験の最高到達点。
自己実現(悟り)に到達すると、現在のパーソナリティーは、永遠のパーソナリティイーに重なり、自己認識・魂に同化する。ダスカロス著「エソテリック・プラクティス」または、「エソテリック・ティーチング」に詳しく解説されている。