真理探究のシステム

A System for the Research of Truth

 

ダスカロス

1919年 キプロス島ニコシアにて、
スティリアノス・アテシュリス博士により定礎

 

 

真理探究のシステム:

 このシステムは、霊的な体験と洞察を得るための性急で害をもたらす可能性があるワークの探求を決して勧めません。薬物・覚醒剤・その他の興奮剤は、合法、非合法に限らず、その使用を認めていません。また、ある神秘主義的手法である、自己が入れ替わるようなチャネリング、交霊などは、未確認のエネルギーの介在を許すため、自覚がない内に心身ともに害を及ぼす可能性があるために行なわないように勧告します。

 

 同時に、各個人の自立性を擁護し、尊重する立場から、経済的、感情的、知性的な面でお互いを利用することはありません。

まして、他の人々の身体的な自立性を制約することは決してありません。

 

 家族や友人であっても、自らが自己の成長と達成のために、いずれこれらの教えやサークルに来ることを信じています。

公的な方法により、この教えを受け入れるように他の人々に働きかけたり、宣伝することも決してありません。適切な時期が来る前にこの教えに深く触れることは、それぞれが経験すべきことを邪魔していることになるからです。サークルリーダーや会員は、外へ出て行き勧誘したり、改宗させたりすることも決してありません。

私たちは、自からの意思で来られる方を心から歓迎致します。

 

 また、他の道や教えや伝承の探求を奨励しています。

なぜなら、真理へより近づく方法は、多くの場合比較によってなされるからです。例えれば、蜂の巣のはちも、蜜を集めるために、遠くの庭まで飛んで行きます。

しかしながら、キリストの神秘的な教えである、この庭には、あらゆる種類の花と純粋な花粉が整っています。

ですので、他の教えを眼にしても、認識と信仰という智恵をもって行動します。蜂たちがいつも自分たちの蜂の巣に戻ってくるように・・・。

 


ダスカロスと真理の探究者

 どんなに言語や言葉を駆使してみても、ダスカロスであるスティリアノス・アテシュリス博士が、誰であり何であったかの真実を述べることは、誰にとっても極めて困難なことです。偉大な川のようにダスカロスから注がれた、真理の探究者のための教えを完全に述べることもまた、同じように困難なことです。しかしながら、70余年にわたり、彼の力が可能とした仕事を通して、神秘的なヒーラーであったダスカロスを愛し、尊敬することは、誰にでも出来ることではないでしょうか。

 

 地中海の東の果て、シリアの海岸からほど遠くないところに浮かぶこの小さな島国、キプロス島は、9000年以前からのキプロス文明の起源を持ち、紀元前11〜12世紀頃にギリシャ系民族の流入により大きな文化的影響を受け、その後多くの国からの侵略と支配に翻弄されてきました。

ダスカロスはそんな島国のトルコ占領下の1912年に生を受けました。

そして、1919年7歳の時、公式に始められた「ヒーリングと真理の探究者の教え」が、彼の人生のすべてとなりました。当時のキプロスは、基本的にギリシャ系キリスト教徒とトルコ系イスラム教徒によって構成されていました。3世紀にわたるイスラム教トルコの占領下から、1925年イギリスの植民地にその帰属が正式に変更されました。しかし、キプロスのイギリスからの独立は、さらに36年が経過した1960年となりました。平和もつかの間、1964年民族紛争によるクーデターがきっかけとなり、トルコが派兵し北部を侵略、トルコ人共和国を発足し、現在に至るまでグリーンラインにより南北に分断されています。

 

 1919年、少年のダスカロスは、すでに高次元の世界へ自己意識を持って旅することができました。7歳にして、過去世の言葉を複数しゃべることができ、高次元の世界からガイドをする“偉大な知性たち”と意識的にコミュニケーションを取ることが出来ました。両親はこのことを知り、彼の能力を信じていましたが、このことを他の人に明かさないように注意していました。今回の転生の初めから、ダスカロスは自分が誰で、何のために地上に生まれてきたか、その目的を既に知っていました。最初に彼が知らなかったことは、彼の周りの人々が彼のようではないと言うことでした。

彼は誰でも、彼が兄弟姉妹のガイドたちと呼んでいた高次の知性たちと交流できると思っていました。しかし、じきに彼自身が、如何に他の人々と異なっているかに気づくのでした。こうして、ダスカロスは、自分の人生の目的を「ヒーリングと真理の探究者の教え」を通して果たしていくことになったのです。

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