視点について

 現在、私たちの周りのいろいろな国、さらには共同体にも想像のできないような混迷が横たわっています。人々は自らの肉体や心や精神を低次元の欲望や感情の奴隷にしてしまっています。内なる成長を犠牲にして目を外に向けている時、物質的世界の中毒に陥っていると言えます。個人的、そして社会的にも手の付けようのない利己主義(エゴイズム)が、地域レベル、さらにグローバル・レベルで深刻な荒廃をもたらしています。

 

 この数世紀、人々は自分たちの周りに物質的世界をつくり上げるために、懸命な努力をしてきました。これは多くの人々にとって、物質的な生活基準の向上をもたらし、平均寿命を延ばし、すばらしい肉体的健康を勝ち得たといえるでしょう。

 

 多くの努力は賞賛に値しますが、しかし今、改善された生活の質が内面的な満足を本当にもたらしたかどうかを、改めて問う必要があるのではないでしょうか?

また、物質的な探求にあまりに大きな優位性を置きすぎたことは、誤りではなかったでしょうか?

 

 言い換えると、サイコ−ノエティカル的(感情体と思考体に関わっている)な発達を置き去りにして、物質的な領域だけの開発を続けることは、本来の人間にとってとても無理な事なのです。一つひとつの身体、及び他の領域(三位一体:思考、感情、肉体)との関係を伴う真の成長は、すべてのレベルと場所において調和的で相対的な成長を必要としているからです。

 

 真理の探究者は、日々自分自身が自身の地獄と天国をつくり出し、またそれを再生していることを永遠の真理として知っています。それらは、今生きている物質界にもありますし、いずれ他界して行く場所にもあります。宮殿をつくり上げている、その同じ素材が、監獄をも作り上げています。
それは、マインドと呼ばれている超素材を愛と理性で使うか、感情と欲望で使い、どの様な宮殿をつくり上げるかの違いなのです。

 

 理性とは、神から人間への至高の贈り物です。とは、真の本質です。真理探究のシステムにより示されたワークを通して、新たな生活様式に移行して行く事が出来ます。聖なるマインドを適切に使うことが大切で、それは「欲望に根ざした思考」を意識的に「思考に根ざした欲望」へ置き換えて行くことで、いずれ自分自身が自身の肉体と欲望と感情のマスターになることができるのです。

 

 あなた方の一人ひとりは、原因と結果(カルマ)の法則に従い、全なる智恵が、あなたを今生きている環境に置いたのです。

あなたは偶然そこにいるのではありません。

あなたは、これから必要とする学びを得るために、境遇、家族、地域社会、そして国を与えた神聖なる計画に従って行動しています。

 

 では、一般的に、これらの学びとは何なのでしょうか? 

それは、忍耐強くあることであり、耐えることであり、愛することです。

たとえ、あなたに反する態度をとる人をも愛することなのです。

言い換えれば、それは、善いキリスト信仰者であることであり、善い仏教徒であることであり、また善いイスラム教徒であることなのです。

これらは同じことであり、これが、真理探究のシステムが示していることなのです。

 

 変化への多くの善い兆候が現われています。
人権は地球全域で擁護されてきています。国境や分断する壁も崩れかけ、存在が弾力化されつつあります。そして、環境に対する関心は以前にないほど拡大されています。一人ひとりにとって大切なことは、神聖なる原理に貢献することです。この原理こそが、すべての世界や宇宙において一人ひとりに平和と調和をもたらす力なのです。

 

 キリストは使徒たちに 「あなた方の周りにいる人々に愛と神の恵みを見せなさい、そうすれば、彼ら自身にその価値観と行動が生まれるであろう。」 と話し、行動することを求めました。これが私のサークルへの希望でもあります。まず、家庭でその善き例となって下さい。そうすれば、この教えは地域社会や世界に広がっていくことでしょう。

 

 サークルが天により祝福されるように、そして世界の人々に祝福がありますように・・・。

 

Dr. スティリアノス・アテシュリス(ダスカロス)このページのトップへ