探求について

 真理の探究者は他の分野も探求して行くことが必要です。

では、この教え以外にどの様な探求が必要とされるでしょうか?

日常の生活で、宗教的な信仰は快適な生活の必需品ではありません。

なぜなら、日常の生活に満足することを求め、宗教的な利益(りやく)のためだけに真理を求めるのでは充分とは言えないからです。

真理の探究者は、常に人々の周りにあるあらゆる問題に対して問いかけ、その答えを求めています。

ですから、どんな問題にも答えなくてはなりません。

このため、私たちの周りのあらゆる問題に対する知識を必要とします。

調和された知識の総体であると同時に、その他の真理に対する正しい答えを持っていなくてはなりません。

そうすれば、確かな答えが引き出されます。

 

 真理を探究するに当たって、性急であってはいけません。

また、目先の結論に飛びつくことも危険です。それから、何があっても興奮だけはしないでください。興奮しすぎることほど悲惨なことはありません。真理の探究には、理性的行動、集中力、それにあらゆる分野の学びが求められており、これらが見解と印象を正していくのです。この点はよく覚えておいてください。継続的に動き続けていて、決して一点に止まりません。相対的な真理から、絶対的な真理に到達するために動いています。

 

 真理の探究者はその学びを重要なものと考えています。

探求者は自身の低次元の自己、あらゆる形態を持つ物質、今生きている世界について知ることになり、もっと拡張され深い感覚の中で生命を学ぶことになるでしょう。その探求と知識は真実に基づくものであり、幻想や甘い夢ではないことが探求者にもたらされます。なぜなら、私たちが多く眼にすることは、夢や希望的な考えというものが必ずしも真実とは一致しないという事実です。真理の探究者は大胆にも、先ほどまで尊敬していた存在を打ち砕くことになるかもしれません。しかし、それによって、その裏にある真実の光を見ることができるようになります。これが、探求者が魅せられた状態や惑い、そして人生の不必要な苦悩から自己を解放する唯一の方法なのです。

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