キプロスからの便り 2020

パナヨッタからの便り

パナヨッタ女史が、その父ダスカロスより受けた指示とアドヴァイスを皆様にお贈りします。
真理の探求者としての、心構え等を受け取って頂ければと思います。

父からの指示とアドバイス

最愛の娘へ、

パナヨッタには何年も教えてきた。そしてそれはこの生涯だけに限らない。 お前は今、絶対・永遠の存在、真理、魂としての真の自己や、永遠と現在の人格の自己ー認識・自己(Self-Aware-Self)などについての多くの理論的な、そして実用的な知識を持つようになった。

パナヨッタはこのすべての知識を自分の命そのものにして、残っている地上の時間・空間の人生に生かし、可能な限り良い方法で使って自分や自分の周りにいる愛する者たち、そして全世界のために役立てほしい。

パナヨッタはこの世の物事(又は単に物事)について熟知している。自分自身としてだけではなく、時間・空間の物質世界での自分を表現する方法として知っている。物質の正しい使い方を知っているということである。この世の魔力に打ち克ち、より洗練された物質の形であるサイキカル資質・物質と私たちが呼んでいる資質に向かってどう進むべきかもわかっている。

サイキカル世界(複数)についても、サイキカル体と呼ばれるものについてもお前は多くを知っている。これからはもっともっとこのボディを正しい使い方で生かしていく必要がある。時間・空間の宇宙の中にあるマインドの資質とスーパー資質についてパナヨッタは知っている。それは物質、サイキカル、そしてノエティカル宇宙で、命の現象として私たちの命に形を与えてくれているものだ。

マインドはいつも正しく使わなくてはいけない。ノエティカルな視覚化を通して、形なきマインドに形を与え、イデアや特定の想念のエレメンタルを創りだすことができる。破壊のディーモンの代わりに、役立ってくれる創造的な働きをする天使たちが創れるのだ。

知っているとおり、人々の80%は無知と暗闇に生き、死を恐れ、マインドのスーパー資質のひどい使い方をしている。

物質やサイキカルな資質・物質に酔い、人間はエレメンタル、破壊と混乱のエレメンタルを創り、それによって物質世界とサイキカル世界の低次元やそのサブ次元を地獄に変えている。

もちろん、これらの人々と接するとき、敵意を抱いたり、ジャッジしてはいけない。むしろ、患者を病から救う医者のようにならなくてはいけない。周りを見るときに、悪い人とか邪悪の人として見るのではなく、無知、混乱や痛みの中に生きている兄弟や姉妹として見るのだ。これらの人々こそ、お前の愛と我等の父(又は父なる神)の愛を必要としているのだから。批判したりジャッジしてはいけない。

私がパナヨッタにイニシエーションを行い、パナヨッタ自身が7つの約束をしたとき、私と偉大な透明な師たちはお前に祝福を与えた。そのとき、「汝の清らかな御足のもとに、おお、ロゴスよ、すべての権威であれ」(At Thine Immaculate feet, O Logos, be all Authority)と書かれた先のない剣を使った。尖った先のない剣は人間の体を傷つけたりすることはできないし、死を招くこともできない。パナヨッタの行いは、この先のない剣とそこに書かれていることそのものでなくてはいけない。先のない剣は傷つけることも、殺すこともできない。パナヨッタの言葉も先のない剣のように、人を痛めたり、傷つけたりすることがないようにしなくてはいけない。すべての権威はロゴスのものであり、お前や他の人間のものではない。

お前のハートは無条件の愛のみを放射するべきで、それは周りの人に対しても、いかなる場でも同じだ。もし、他者と何か相違があり、理由が何であろうとその人が自分の敵であると考える事があったら、注意深く考えてほしい。もしその人の手を取って庭に行き、二人共太陽に顔を向けるとしたら、神はお前の顔だけを照らして、お前が敵と呼ぶ人を照らすことを拒むだろうか。

そうならないのだから、お前のハートからすべての人に放射されるべき愛の光、ロゴスの愛の太陽をその人から奪う権利は誰にもない。これは相手が親戚であろうと、見知らぬ人であろうと、同じ信念を持っても持たずとも変わらない。

最愛なるキリストはこのように言っている。「隣人を自分のように愛しなさい。」「Love your neighbor as yourself」(訳注:マタイによる福音書 19:19 新共同)
それは狭い範囲の人々を考えてはいけない。キリストが、「隣人」と言ったとき、息するものすべて、命あるすべての生き物、そしてすべての人間のことを指していたのだから。

注意深く観察してほしい。マインドの低い波動がパナヨッタを揺さぶっているとき、マインドをどうやって良い方法で活用できるのだろうか。お前の感情、そのサイキカル資質・物質が荒々しく揺れているとき、この物質界の中でどうやって平穏を保てるのだろうか。

最愛なるキリストが嵐に静まるように命ずると、嵐は静まった。人は自分の中のキリストを感じ、自分のキリスト意識を体験することができたとき、このパワーを持つことができる。すると全ての嵐、それが天候であろうとも、他の種類の嵐であろうと、それは人に従う。しかし、もちろん最初に来るのはサイコ・ノエティカルな嵐だ。私がパナヨッタに望んでいるのは、キリストのように、お前が強い感情の嵐の前に立ちはだかり、それが静まり、そしてやむように命ずることができるようになることだ。

自分の周りの状況のマスターになれなければ、自分自身のマスターになることは不可能だ。そしてさらに。すべてのサイコ・ノエティカルな嵐は肉体にダメージを与える。だからこの状況によって影響を受けるのは、サイコ・ノエティカルな嵐が入って来ることを許した人間になる。言うまでもなく、このような嵐を自分の環境で観察すると、これらが人為的なものだとわかるはずだ。“災いや苦悩はこの世にもたらされる。”(And trouble will come to the world.)父なる神はそのような出来事が起きることを許している。それは人を押しつぶすためではなく、それに打ち克って向上するために。だからいつも注意していなさい。

誰がサイコ・ノエティカルの嵐によって影響を受けるのだろう? 人が強い痛みを感じると、ダメージを受けたと感じないだろうか? 影響を受けたのは人格のエゴイズムである。エゴイズムが痛みを感じると、人はそれ以上にダメージを受けたと思い、ある種のサイコ・ノエティカルなストレスを感じ、それは肉体の痛みより恐ろしく感じられる。

最終的な目的はエゴイズムと呼ばれる恐ろしい怪物を消し、それがいた場に、サイコ・ノエティカルな尊厳を創造することではないだろうか?
魂−自己の尊厳に怒りは介入しない。なぜなら魂は真の愛しか表現しないからである。

愛する娘よ、お前はサイコ・ノエティカルな平穏、落ち着きやバランスを体験してほしい。そうすれば、どこに行っても愛を放射することになるだろう。このバランスを保てば、お前やお前が住んでいる場所や国に良いことがやってくる。良い想念も悪い想念もお前に付いてゆくものだから。自分の人格から何を送り出すかは自分の責任だと伝える必要はないだろう。パナヨッタはもうわかっているから。これを踏まえて、パナヨッタよいたるところの愛の光になりなさい。

 

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