ハラランボス氏からのメッセージ

日本の真理探究者の方々へ

by Haralambos

 

 霊的発達の道のりにある人々の導き手(guiding brothers)になることは、私たちにとって上から与えられた最高の栄誉です。その資格を得るために私たちはどのようにしたら良いのでしょう?

 聖書福音書家でありキリストの弟子であるヨハナン(ヨハネ)の霊によって与えられた教えと、私たちの師であり導き手であり、今も世界中に存在するサークルを、絶えず見守り面倒をみてくれているスティリアノス・アテシュリスを通して伝えられた教えを深く勉強し、理解することです。さらに注意深い学びの後、その知識を日常生活において実践することです。

 

 私たちは個人的な体験を通してのみ、導きを必要としている人々をどうしたら助けることができるかを知ることができます。そのためには、私たちは身近にいる人、遠くにいる人の区別なく、全ての人々に対して強い愛を持たなくてはなりません。

 

 地球はいま、光の無い、とても暗い時期にあります。

 ネガティブな勢力がますますはびこり、私たちの中から最も暗いエレメンタルが顕われ、私たちが完全なるものからいかに遠い存在であるかを見せてくれています。

 いま私たちが持っている唯一の光は、私たちのハートから来る愛の火だけです。私たちは、まず自分を愛し、尊重することから始めなくてはなりません。そうすることによって初めて他の人を愛し、尊重することができるのです。

 するとその人たちもまた、私たちを愛し尊重するようになります。

 しかし、もし私たちが絶対無限の存在である神を、私たちの全ちから、全知能、全愛を以って愛し、同時に真理を愛することを知らなかったら、自分自身を愛することはできないのです。自分を愛し、尊重することができれば、私たちのところにやって来る人が、聖人か殺人者か、友か敵か、他人か家族かにかかわらず、どんな人に対しても感謝の念や報酬を期待することなく、等しく愛することができるようになるでしょう。

 愛するということは、どんなにその人の態度や言動が私たちに対して反抗的でひどいものであっても、彼らの間違いを理解し、許すことです。それは、病人とその人の病気とが別のものであることを知ることです。これは、自己の霊的成長の最初のステップといえます。

 

 ジョシュア・イマヌエル・キリストはパレスティナで、娼婦が犯した罪のために彼女を石打ちにしようとする民衆に「何も罪のない者から最初に石を投げなさい」と言いました。

 すると彼らは石をおいて去って行ったのです。私たちは誰も罪のない者はいません、ですからどうして他人の罪をとがめて怒ることができるでしょう?

 

 私は皆さんがお互いに、真実の兄弟姉妹のようであって欲しいのです。何故なら皆さんは神の光において真実の兄弟姉妹であるからです。必要な時は互いに助け合い、心から互いを尊重し、愛するようにして下さい。優しく気づかい、許しあって下さい。

 私たちには、自分の役割を果たすのに、互いの愛と尊重が必要なのです。神は私たちを見守り、思いやっています。私たちが泣く時は彼も泣き、私たちが歓ぶ時は彼も歓びます。ですから彼を悲しませないようにしましょう。

 

真理こそ私たちの全てです。

 壁を走る影を見て、それが現実でこの世に存在する全てだと思い違いすると、私たちの背後にある真の光を見失うことになります。私たちはこれからの人生で、影を追いかけて真理の道を見失わないようにしましょう。ダスカロスは、「重要な事なんて何もなく、実際ほとんどの事はどうでもいいことなのだ」と言っていましたが、これは真実です。このダスカロスの文をもう一度よく考えて下さい。

 本当に大事なことは、私たちが自分の“家”に帰る道を見つけること、他の人もそうすることができるように助けることです。何も期待することなく、またたとえその人がどんなひどい言動をあなたにしたとしても……。感情を害することは、私たちとこの世界において最大の悪魔なのだということを忘れないで下さい。

 愛とはどういうものか思い出して下さい。これからの私たちの残っている人生を、お互いに愛し合うようにしましょう。 何の条件もつけずに、愛を実践して下さい。強い愛を。

 

 毎晩、憎しみ、不満、怒りのどんな小さな痕跡をもチェックして、正しい考え方によって消し去りましょう。これらはあなたの身体と自己にとっての強い毒であり、真理の探究者として、ほんのちょっとでも私たちのハートに留まるのを許してはいけないものです。

 

2003年8月5日 東京で

 

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