StarPeople Vol.8 ミニ特集『偉大な霊性の教師ダスカロス』
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文・構成:津賀由紀子 協力:Mr&Mrs Haralambos 協力:伊藤裕幸 |
キプロス (c)N.Ebata |
ダスカロス(スティリアノス・アテシュリス:1912-1995)
欧米のヒーラーやセラピストの間でヒーラーの中のヒーラーという最大限の尊敬を込めて「ザ・ヒーラー」と呼ばれ、ヨーロッパでは「20世紀における最も偉大な霊性の教師」と呼ばれていたダスカロスをご存知だろうか?
地中海に浮かぶキプロス島に生まれ、生涯を通じて無償で多くの人々を癒し、無条件の愛を示し続けたヒーラーであり、霊的な真理を教え続けた教師であるダスカロス――。彼が遺した教えと、その存在は今も世界中で真理を学ぶ人々の道を照らし続けている。
ダスカロスが生まれたキプロス共和国 |
愛と美の女神「アフロディーテ」が生まれたといわれる島、キプロス。
地中海に浮かぶ、この美しい島国に1912年、一人の“教師”が生まれ、95年に亡くなるまで首都ニコシアにほど近い、ストロヴォロスで暮らしていた。その人の名はスティリアノス・アティシュリスという。
しかし、この名前を知る人はほとんどいないだろう。自分の名前が知られないように努めていた彼は生前から、人々にただ「ダスカロス」(ギリシャ語で「先生」を意味する)と呼ばれていた。ここでも、その意思を尊重し、今も彼を知る人がそう呼ぶように、ただ「ダスカロス」と書くことにする。
ダスカロスは幼少期から目に見えないガイドと会話し、またごく自然に他人の考えていることがわかった。卓越した意見を述べて大人を驚かせることも多く、小学校ですでに先生たちの学問上の問題を助けることもあったという。
若い頃にすべての過去生を思い出していたダスカロスは、現代ギリシャ語、古代ギリシャ語、トルコ語、ラテン語、ロシア語、英語、フランス語、イタリア語、サンスクリット語、アラム語、アルメニア語、そして古代エジプトの象形文字など数多くの言語に通じ、イギリスに留学した際には、哲学博士と神学博士その他の学位も取得している。
また、キリストであるヨシュア・エマニュエルが生きていた時代に、最年少の弟子だった当時の記憶も取り戻していたダスカロスには、生涯を通じてヨハナン(福音書の著者であるヨハネ)が霊的なガイドとして連れ添っていた。
ダスカロスは立つことすらできなかった小児マヒの子どもを歩かせたり、再起不能なまでに変形した背骨を再生させるなど、奇跡のようなヒーリングを行なうこともできた。
しかし、ダスカロスは、大勢の人を癒しながら決して謝礼や治療費を受け取らず、ふつうの人と同じように働いて生計を立てていた。ヒーリングは聖霊によってなされるもので、自分はそのチャンネルにすぎないと考えていたからだ。
家はそんな噂を聞きつけた人であふれ、時には一日に80人以上の人々が癒しを求めてくることもあったが、ダスカロスはどんな時も拒むことなく人々を受け入れ、“神聖なる計画”の一部である本人のカルマが許す限り、その人は必ず癒されたという。
驚異的なヒーリングを目にした人が「奇跡だ!」と騒ぎ立てることも少なくなかったが、そんなとき、決まってダスカロスは「奇跡でも何でもない。自然の法則を知っていれば、誰でも簡単にできることなんだ」と語り、また人々が感謝しようとすると、いつもこう言って遮ったという。「私ではなく、神に感謝してください」と。
癒しを求める人だけでなく、ダスカロスのもとには世界中から様々な人々が教えを求めて訪れた。しかし、こうした“教え”に関しても、ダスカロスは 「自分は単にヨハナンや他のマスターたちのチャンネルに過ぎない」 と強調していた。
また口ぐせのように「真理の探究者にとって、名声とは罠なんだ」と語っていたダスカロスは誰にも自分のことを書かせず、インタビューも受けつけなかった。
こうして彼は、細心の注意を払って脚光を浴びる危険性を避けながら、83年の生涯を他者への愛に捧げ、無名のまま、市井の人として生きたのだ。
そんなダスカロスが、取材の申し出に「(ヒーリングや教えについて)私の手柄にしないという条件を守るなら」と名前を伏せて書くことを許可した唯一の相手、それが過去生からの縁があったキリアコス・マルキデスだった。このマルキデスによるルポルタージュ『The Magus of Strovolos』(邦題 『メッセンジャー』)は85年に出版されると欧米で話題になり、ダスカロスを探して訪れる人はいっそう増えることになった。
『メッセンジャー』以降に、マルキデスは同じシリーズで本を2冊出しているが、この3部作には深遠な真理だけでなく、崇められることを嫌い、誰に対しても親しい友として接したダスカロスの姿や、ユーモアたっぷりの人間味あふれる素顔、ヒーリングや体外離脱による奉仕活動の様子などが、リアリティあふれる筆致で描かれている。
シンボルオブライフと未邦訳の解説書 |
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(左・シンボルオブライフ、右・解説書) |
ダスカロスは第一級の覚者であり、真のヒーラー、魂の医師だったが、中でも人生の関心事は「周りの人々の痛みを和らげること」と「自己発見の旅に関心を持っていて、旅立つ準備のある者たちの手助けをすること」(『メッセンジャー』)だった。
そのため、彼は自宅で定期的に「サークル」と呼ばれる勉強会を開き、“旅立つ準備のある者たち”を対象に、自由な雰囲気の中で真理について、聖霊との共同作業であるヒーリングや精神修養の具体的な方法について、やはり無料で教えていた。
このサークルは彼が亡くなった今も、世界的な広がりを見せている。正確な数は把握されていないが、ダスカロスの実の娘であるパナヨッタ・アテシュリスさんによると、欧米を中心にたくさんのサークルが、ダスカロスの遺した著作や講義のテープ、ビデオを使って学習を続けているそうだ。
もちろん、無料で天から受け取ったものは無料で与えるべき……というダスカロスの教えに従って、これらのサークルは無料で自主運営されている。
同様に、ダスカロスは生前から、教えを宗教にすること、サークルを組織化することは決して認めなかった。それはダスカロスが「無批判に信仰する者より、理性的な無神論者のほうが神に近い」と考え、また組織化することによって、教えが欲望や権威主義といった人間のエゴイズムに利用されることを危惧したからだろう。
ダスカロスは矮小化された、特定の宗教的イメージがつきまとう「神」という言葉も極力避け、サークルでは“絶対無限の存在”という表現を使った。真理の探究には宗教や民族の違いはもちろんのこと、時間や場所さえも超越したロゴスと理性こそが重要だと、彼は考えていたのだ。
だからダスカロスは常々、自分の語る言葉であっても決して鵜呑みにしてはいけないと、生徒たちを戒めていた。何であれ鵜呑みにせず疑問をもち、すべてを実際に体験して試し、自己修養によって得られた指針から主体的に判断しなくてはならないと教えたのは、他者を崇拝し盲目的に自らを委ねてしまいがちな人間の危うさを知っていたからだと思われる。
人間には、努力を重ね一歩いっぽ自分の足で霊的成長の道を登っていくよりも、“偉大なる誰か”“素晴らしい教え”を信奉して付き従うことを欲する傾向がある。しかし、それでは依存心が強まるばかりで、本人の成長は阻害されてしまう。
真理の探究、意識の覚醒、そして霊的成長の道に近道はない。偉大なマスターをどれほど熱心に信仰しようと、聖なる書物に囲まれ、霊的教義を熟知していようと、それがそのまま本人の力になるわけではないのだ。
……ここまでお読みいただければおわかりのように、ダスカロスは人間の心にジャングルのように巣くう欲望、エゴイズムからの脱却という、厳しい課題の実践を生徒たちに求めた。小誌創刊号に高木悠鼓さんが寄せた名エッセイ「霊的教えの表と裏」でいえば、まさに多くの人々にアピールする意識の覚醒、ヒーリングや霊的能力の修得といった華やかな表の部分ではなく、地味かつ地道な(--だからこそ確かな力となる--)裏の教えの実践を説いた教師、それがダスカロスだったのだ。
ダスカロスは7歳のときにヨハナンから《七つの約束》を授けられ、その導きによってサークルを始め、自分が通っている学校の先生にも〈エソテリック・ティーチング〉(秘儀的な教え)を教えていた。
《七つの約束》は、読むと、厳しい戒律のような印象を受ける人がいるかもしれない。しかし、これは戒律でも、破ることの許されぬ誓いでもない。 ダスカロスはサークルに入門する生徒たちを「真理の探究者」=Researchers of Truthと呼んで、7歳のときに自分が授けられたものを、彼らと分かち合った。それはきっと、真理の探究者ならば心に刻むべき?約束?、それが《七つの約束》だと考えたからだろう。
中でも、ダスカロスは7つめの約束を「内省」と呼んで、特にその重要性を強調した。一日の終わりに、自らの感情・思考・行動を顧みて、自分を裁くことも弁護することもなく、第三者として客観的に観察する。そして、不備・不足があれば、より良い感情・思考・行動をシュミレーションしてみる……。これを習慣化することによって、「感情と想念をコントロールしてエゴイズムを減らし、兄弟姉妹であるすべての人々を愛する」ようになること、それこそ真理の探究者にとって最も大切な修養だと、ダスカロスは説いたのだ。ここに、彼が遺した教えの最大の特徴がある――。
ダスカロスがサークルで教えた内容は、かつてキリストが12弟子に与えたものと同じ《エソテリック・ティーチング》であり、そこには深遠な真理、目に見えない世界の構造といった霊的“知識”から、体外離脱、ヒーリング、透視、物質化といった霊的“能力”の開発につながる具体的な方法論までもが含まれる。しかし、こうした知識や能力について学び、修養を重ねることには、常に大きな責任と危険がつきまとうものだ。
マルキデスの3部作の中には、ダスカロスのもとで学びながら、体外離脱の能力を使って覗きを行ない、破門となった生徒の様子も描かれている(『永遠の炎』)。どれだけ知識を集めようと、能力を身につけようと、いや逆に知識や能力を持つほどに、人間には欲望、慢心といったエゴイズムの誘惑がつきまとう。そして、知識や能力があればあるほど、その“ギフト”を悪用したカルマは高くつくものなのだ。
《エソテリック・ティーチング》は古代エジプトの時代から、高位の僧だけに脈々と伝えられ、一般の人々に隠された秘儀・秘教だった。それも大いなる責任をともなう危険性ゆえだが、おそらくダスカロスも、修養を重ね、着実に意識の覚醒に向かいながら、大きく階段を踏み外した大勢の人間を見てきたのだろう。
だからこそ「内省」の重要性を説き、《七つの約束》によって日々エゴイズムを減らしながら、急がず一歩ずつ確実に意識の階段を昇っていくように警笛を鳴らし続けたのだと思う。
こうしたダスカロスの教えは、その地味さ、また奥深い厳しさゆえに、かえってこの時代、燦然と輝きを放つような気がするのだが、いかがだろうか。
(終わり)
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七つの約束
私は自分自身に約束します。
一、いつどこにいても、私もその一部である「絶対なる存在」に心をこめて奉仕します。
二、いつどこにいても、私には「聖なる計画」に奉仕する準備ができています。
三、いつどこにいても、またどのような状況にあっても、私は聖なる贈り物である想念と言葉を正しく使います。
四、最も賢明なる「聖なる法則」が与えてくれる、あらゆる試練と苦難に対して、私は不平不満を言うことなく、辛抱強く耐え忍びます。
五、私に対する人々の行動がどのようなものであっても、私は心と魂の奥底から、誠意をもって、兄弟姉妹である隣人を愛し、彼らに奉仕します。
六、私のあらゆる想念・願望・言葉・行動が「聖なる意志」と完全に一致することを目的として、毎日「絶対なる存在」について黙想し、熟考します。
七、私のあらゆる想念・願望・言葉・行動が「聖なる法則」と完全に調和したものであるかどうか、毎晩確かめます。
(『キリストのたとえ話』より)
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